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オアシスを求めて [心のケア]

心が渇く。心が渇く。
思えばよく、何かに追い立てられて
気がつけば何か変な気分になっていること。
そういうことが昔からよくよくあった。
そういうことに気がつく。
「オレ一体何をやっているんだろう」
自分が自分でないような感覚。
誰だかわからない感覚。

そしてなにかに完全に乗っ取られているとき
それは極限値を以て、自分を傷つけつづける。
それにいつ気がつくか、どう気づくか。

もしかすると、子供心にそうなるのがいやで
いつだかに「冷静に生きる」と決めたのかもしれない。
パニックを避けるために。はずかしさを封印するために。
心の荒廃を隠すために。
その戦略は間違ってはいなかったけれど、
重要な局面局面でその封印が解かれて
暴走することまでは想定できなかった。
そこまでの用意がなかったのだろう。
たしかにそんなものまで用意できるわけがない。

逃れようと、もがけばもがくほど、
更に自分の首を絞めてしまうような
そういう繰り返しのパターンがある。

何かに駆り立てられる。
めくらめっぽうに突き進む。
何かを得ようとすればするほどに、
「誰かに陥れられた」という
奇妙な呪術の犠牲者となってしまう。
はたからどう見えていようとも、
そういうものと格闘する人生がたしかに存在する。

何かがおかしい、どこかがおかしいと思うときに
そのままの受け入れがたい自分を受け入れられれば
いままでそうだったように、
少しずつ良くなっていくと、
生きやすくなっていくと、そう信じたい。

乗っ取られていることにどうやって気づくのか。
いかに早く気づくのか。
そのコントロールこそが自信になっていく。

そしてその呪いをかけているものが、ほかでもない自分の中にあること。
そしてまた、それを解くのも自分しかいないこと。
繰り返しを絶ち、自分を守るのも自分なんだということ。
そんなことに気がつく。
そして、以前の虚脱感や絶望は、
「自分が選択できるんだ」という自信になる。

だからこそ、
焦って焦って、どうにも休まる場所がない
そんなときでさえも、
なにかで心を潤すことができる。
ひと休みできるのである。


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強い心とは [心のケア]


境内の紅葉と鐘楼

お寺さんの有志で集まっている仏教の勉強会に出席してきた。この中で年長の方がおっしゃっていた話が気を惹いた。曰く「最近の人はいろんなことに対応できない。それは心がたくましくないからだ」と。

「たくましい心」とはどんな心だろうか? 俺なりにかんがえてみよう。自分の人生を振り替えると、最近心がたくましくなったなぁと思う。それはどこで感じるのかというと、ひとつにはさまざまな精神状態を体験したこと。いろんな人が、千差万別の心理状態を経験することを知ったこと。そしてそのいろいろな精神状態になりうる自分の心を、今はある程度コントロールできることを知ったことだろうか。

つい最近まで、自分が感じるいろいろな心理状態は外部の「誰か」や「何か」のせいで起こると思っていて、自分で制御できるものではないと思っていた。気持ちのいい状態はその環境に身を任せておけばいいが、望ましくない不愉快な心理状態はそういかない。

望ましくない心理状態を誘発しそうな環境に居合わせる時には、自分にその場にとどまるのか、その場を去るのかの選択権がある。これはわかっている人、このように現実に行動できている人には当たり前のことだが、慣れていない人にはなかなか出来ないことだ。嫌な場に居合わせることで他のものが得られるとか、何かを試してみたいとか、他に何も得るものがないので早々に立ち去るとか、人には選択権がある。俺は選択肢をもてる状態を「心に余裕がある」状態と呼んでいる。心の強さ、たくましさはこういうところにも関わってくるのかもしれない。

俺も「たくましく、強い心」をもちたい。たくましく強い心は乱されない。いつもおだやかで柔軟性に富んでいる。しかしストレスにさらされると心は理屈では扱えなくなる。何であれ外的な要因に心を乱されたくないということになる。

たとえば対人関係を冷静に考えてみれば、何人たりともむやみに人の心の平安を乱す理由はない。しかし現実にはそういうことが毎日繰り返されるわけだ。

ではどうしたら心を乱されないでいられるのか。逆説的かもしれないが、乱されない心とは、人の心を乱さない心だということではないか。他人の心の平安を乱さなければ、自分の心はより平安でいられるのではないか。

先程の年長の方がおっしゃるには「最近は我慢をすることがないから強い心が持てない」のだとか。勿論それは「むやみに我慢をすれば強い心が持てる」という意味ではあるまい。我慢をすることをきっかけに、自分の思い通りにならない現実を冷静に見て、受け入れ、そしてものごとの道理を知ることではないだろうか。道理というのは世の中の摂理であリ、法則である。


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斎藤学講演会 [心のケア]

突然知り合いから、10月30日に広島で斎藤学医師の講演会があることを聞いた。斎藤医師には多大な影響を受けた。30代における僕の新たな出発点の半分は、斎藤医師の著作との出会いにあるといってもよい。

講演会の内容は「第3回アディクション・フォーラム どうしたらいいの 生きていくことがつらい人のために」。

一度はお顔を直に拝見したいと思っていたので、生の声を聞きにいきたい。

この講演会についての詳細は自助グループ情報--フォーラム情報の中の下の方に書いてあります。



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「心の本棚」 (IFFオンライン・ブック・サービス)


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心の本棚  (IFF オンライン・ブック・サービス) [心のケア]

昨日紹介した斎藤学医師主宰の家族機能研究所のホームページには書籍販売のページがある。IFFオンライン・ブック・サービス「心の本棚」といい、僕はこのページから多くの本を購入し勉強した。このページの特徴は本が分野別に整理されていて、多かれ少なかれ心の問題を抱える人は、自分に関係がある本がどこかに見つかるようになっている。

分類のキーワードは

恋愛人間関係
「いきづらさ、自己嫌悪」
「子どもの悩み」
「親の悩み」
「家族」
「心の傷・トラウマ
「過食・拒食」
「アルコール問題」
「依存症全般」
「DV」
「子どもの虐待」
アダルトチルドレン
「女性」
「男性」
「癒しと回復」
「虐待・トラウマ・AC」

と多岐に及び、心の問題に関する書籍を多く取り扱っている。症状やトピックによっても分類してあるので初心者でも利用しやすい。関心のある方には是非ともご覧頂きたい。

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斎藤学医師のブログ [心のケア]

斎藤学氏がブログをはじめたという報せがきた。斎藤学医師は家族機能研究所(IFF)の代表で精神科医。著作、講演会、ワークショップ、家族カウンセリングなどを通して、機能不全家庭で育ったいわゆるアダルトチルドレンをはじめ、さまざまな虐待や心的外傷(トラウマ)を受けて育ったひとたちの力になっている。イラクで人質となったひとたちを成田空港で診断したのは記憶に新しい。

僕は斎藤先生に多大な影響を受けた。とくに精神的成長の著しかった台湾留学時代には数多くの著書を日本から取り寄せ、むさぼるように読んだ。読んだ本は、いま手元にあるだけで

「斎藤学講演集3 心の傷の癒しと成長」 ヘルスワーク協会
「アダルトチルドレン・シンドローム」 (斎藤学監訳) 金剛出版
「心のブラックホール うつとアディクション(嗜癖)の病理」 講談社SOPHIA BOOKS
「『家族』という名の孤独」 講談社
「家族依存症」 新潮社
「いじめ・いじめられ関係(全6巻)斎藤学講演録」 ヘルスワーク協会
「家族の中の心の病」 講談社
「封印された叫び」 講談社
インナーマザー 〜あなたを責めつづけるこころの中の『お母さん』」(旧題名「インナーマザーは支配する 侵入するお母さんは危ない」) 新講社

などなど。斎藤さんの世界に出会えたことで僕の世界観はより広がり、さらに大きく成長できた。これらの本はIFFオンライン・ブック・サービス「心の本棚」から注文できる。

時にぎょっとしてしまうほどのストレートな物言い、それを包み込むトラウマ経験者へのあたたかい眼差しが斎藤先生の魅力だ。

斎藤学医師によるブログ「斎藤学とのQ&A」は
http://www.iff.co.jp/saito/
  
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トラウマ(心的外傷)と心の癒し -- Aaさんへの返事 [心のケア]

この記事はBBC制作 HIROSHIMAを見てに対するAaさんのコメントへの返信となっています。

Aaさん。「理性と感情がkey」について考えていました。阪神大震災を経験された方のお話、非常によくわかります。そういう意味でトラウマ(心的外傷)体験とは非常に深いものだと思います。テレビの関連番組を見て、「そんなものではない」という彼女の激しい怒りと失望。外傷問題を考える時に避けて通れない非常に重要な要素です。「どうやって被害者を癒すか」そして「何を後世に語り継ぐのか」と言うのはともに大事な問題だと思います。

さて、「どうやって彼女を癒すか」ですが、僕はいろんな体験をすればするほど「癒そうとすることが誤りであり、傲慢なのかもしれない」とは思わなくなりましたし、「人は体験しないと分からない」とも思わなくなってきました。

さて「どうすれば壁を乗り越えられるか」について、僕の考えを述べます。まず「壁を越えたい」「声を届けたい」という強い思いに僕は共感します。(まずわかっておられると思いますが、こういう強い感覚や思いはだれしもが持っている感覚ではありません。今回はその理由については説明しません)。

僕は「わかる」という現象について考えます。「わかる」とか「わかってくれた」という現象は極めて主観的なものです。ですから、わかろうとする側がどんなに良心や肯定的な意志を持っていようと、相手がどう思うかには必ずしも関係がない。良心を実行しようとする人々は、往々にして自分の良心に対する報酬の少なさに、うらぎられ、傷つき、嘆き恨みます。現実はそうだと思います。そう言うと絶望的に聞こえるかもしれませんが、実はそうでもないんです。

僕は自分のトラウマ体験(いまだに何が原因なのかわかりませんが(笑)を癒したり、僕にとってはながらく疑問であった「人間関係」を理解することが目的で心理学、カウンセリング、催眠療法関連、そしてアダルトチルドレン、虐待、トラウマ、心の成長などのトピックについて学んできました。とくにNLP(神経言語プログラミング)と出会ってから、僕は少しずつ癒され、大きく成長し、考え方も大きく変わりました。

その体験から、きれい事ではなく、現実的な話をします。誰か大きなトラウマを抱えた人を「癒そう」とか「『わかってもらえた』と思われたい」(これは自分が「わかりたい」「理解したい」というのとはまったく違うアウトカムです)とすると、これは人の心の領域には入り込んでいくのですから真剣勝負です。まず、相手の価値観を全肯定して受け入れることが必要になります。トラウマに苦しむ人々は、強い反応を示すことが十分に予想されます。しかしそれを全部そのまま引き受けるのは普通無理です。精神的な負担が多すぎるのです。それで、それに対応するには、相手の反応を「判断しない」で「尊重する」という技術が必要になります。僕が学んだところでは、これを「ニュートラル・トレーニング」と呼んでいます。そうすることで、自分が精神的な打撃を受けずに、相手との信頼関係(ラポール)を築くことができます。長く続く信頼関係は「癒し」の第一歩です。あとは訓練です。人に本当に「声を届けることができる」こと(または可能性)を実感できるようになります。

あまりうまくまとまっていないですが、(Aaさんとやり取りする時はいつもそうですが(笑)、思いついたことをもうすこし書いておきます。前述の話とは違ってBBCのHIROSHIMAを見ておもったことの追記です。

極度のトラウマ体験は本人が実際にその事件を体験していなくても、家族、地域など環境からそれを体験する「二次体験」がある。そしてそれはそのできごとに付随する価値観を共有するという意味におい十二分にトラウマ体験たりうる。ぼくが、被爆を実際に体験しているわけでもないのに、BBCのこの番組を見て「中途半端に触れないで欲しい」という被害者意識を持った理由はそこにあると思います。

僕は最終的には、「トラウマを乗り越える」のは自分(個人)なのだと思っています。それをどう引き受け、どう表現していくかにほかならない。だから自分の立場がはっきりし、自分の求めるものがはっきりし、そして相手の立場や求めるものが見えた時に、自分がなすべきことが見えてくる。そういうことがはっきりしないと求めるものは手に入らない。「もてざるものに求めるは敗北である」というのはそういう思考から来ています。敗北は出発点です。状況が分かった以上、リーダーシップを自分がとる勇気と覚悟があれば、勝利はずっと近づきます。今の僕はもう彼らには負けていませんよ(笑)。

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BBC制作 HIROSHIMAを見て


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